「ボタンひとつで飛ぶ未来のロケット」を目指して 株式会社ロケットリンクテクノロジー 森田 泰弘 社長が乗り越えた「逆境」(第2話)

「誰でも宇宙で活躍できる社会」の実現を目指して、小型衛星用ロケットの開発に挑むJAXA発のスタートアップ、株式会社ロケットリンクテクノロジー。キーテクノロジーとしてLTP(低融点熱可塑性推進薬)の研究開発に取り組むと共に、ロケットの新しい打ち上げ/回収方式の研究や、技術教育・人材育成などを展開する。代表取締役社長 森田 泰弘氏に、これまでのロケット開発の取り組みやチームづくりのポイント、LTPが切り開く小型衛星時代の展望について聞いた。(全4話)

M-Vロケット運用停止は「未来への入り口」

ーー『M-Vロケット』や『イプシロンロケット』の開発中に直面した困難について教えてください。

まず、M-Vロケットは「性能を極限まで追求した固体燃料ロケット」です。

小さなロケットで小惑星探査機『はやぶさ』を宇宙へ送り出すには、とにかく性能の限界に挑む必要がありました。

第1話でもお伝えしたように、M-Vロケットは自動車で言うF1マシンのようなもので、値段が高く、運転は難しく、衛星にとっての乗り心地も悪い。ただ、はやぶさを打つ性能を達成するためには、それくらいのものが必要でした。

研究者一人ひとりの最大限の努力を噛み合わせ、科学技術の粋を集めてつくった、芸術品のようなロケットだったと思います。

そんなM-Vロケットの開発が始まる頃、日本のロケット開発において、大きな組織再編が行われました。

それまで、固体燃料ロケットは相模原のISAS(宇宙科学研究所)、液体燃料ロケットは筑波のNASDA(宇宙開発事業団)が担ってきましたが、両者が統合されてJAXAとなり、ロケット開発は筑波に一本化されることになりました。

元々相模原にいた研究者の大部分が筑波へ移り、異なる文化の融合が避けられないテーマになったのです。

そんな中、過去に、ISASで作った衛星をNASDAのロケットで打ち上げる融合プロジェクトをリードし成功させた経験があった私に白羽の矢が立てられ、M-Vロケット開発のリーダーに任命されました。

当時の私はまだ45歳で、通例に比べ10年早い抜擢でした。「森田なら、こういった環境変化に負けず柔軟にやり切れるだろう」と期待して頂いたと聞いています。

また、開発面で言えば、組織統合直後のH-IIAロケット6号機の打ち上げ失敗を受けて行われた、ロケット開発プロセスの「総点検」が大きな困難でした。

設計、解析、運用などの全プロセスを洗い出し、誤りがないかを徹底的に検証する。これは、現場にとっては負荷と緊張感の高いプロセスでした。

ここで初めて、ISAS流(学術研究の延長で、手計算をベースに素早く進める)とNASDA流(NASA方式に近く、細かな設計基準に重きを置く)の文化の違いが正面からぶつかることになったのです。

総点検は約半年続き、あらゆる計算やデータ、成果物の突合・検証が行われました。そして、文化の違いを超えて最後に得た私たちの結論は「両者やっていることの本質は同じ」というもので、互いを認め合うことができたのです。

このときの総点検を通じて得た相互理解は、その先の議論や協働の土台になりました。

 

ーーイプシロンロケットについては如何でしょうか。どのような経緯でイプシロンロケットの開発に挑まれたのかも含めて教えてください。

出発点は、やはりM-Vロケットの運用停止です。コストが高いから停止する、世界一の性能を達成できたんだからこれ以上やるべきことも無いだろう、というのが政府の主張でした。

それでも、この技術は未来につなぐべきだと訴え続け、最終的には「M-Vロケットを遥かに超える案を持ってきたら検討しよう」と、条件付きで次へのチャンスをいただきました。

ところが、そこからが長かった。

M-Vロケットが立派すぎた、そして愛着もあったがゆえに、発想の出発点が常にM-Vロケットになってしまう。どう改善するか、どう伸ばすか。過去の成功体験に無自覚に縛られて、まったく次の解が見えない状況が3年近くも続いてしまいました。

チームの士気も下がり、精神的に参るメンバーも出始める中、「ここから明るい未来が開けるはずだ」と皆を励まし続けましたが、私も一人になると、暗い気持ちに呑まれてしまうこともあったように思います。

しかし、恩師である秋葉 鐐二郎先生の一言で、転機が訪れました。

「過去のことは一切忘れて、未来のことだけを考えなさい」。この言葉で初めて発想が転換するのです。

未来のロケットとは何か?そう問い直した瞬間に脳裏に浮かんだのが、ボタン一つでロケットが発射する世界でした。

当時、100人がかりで管制室にこもって、30台もの点検装置を並べ、1日がかりでようやくロケットを発射していました。成功したら皆で涙を流して抱き合う、あのお祭り騒ぎが大好きでロケット開発をしていた人もいるくらいなのですが、それはもう卒業しなければいけないなと(笑)。

目指したのは、少人数・短時間・簡易装備で打ち上げられる仕組みです。

点検装置をロケット側に内蔵し、自律点検・知能化で機体自身が健康状態を瞬時に診断できれば、管制室にはノートPCが2台もあれば良い。100人規模の人員を5人へ。それがのちに実現する「モバイル管制」です。

ロケットの性能はもちろん重要です。しかし、未来のロケットはそれだけでは足りない。

コスト、運用の容易さ、そして衛星側から見た扱いやすさ――この総合力を最適化しなくてはならない。こんな当たり前のことに気づくのに3年かかりましたが、おかげでイプシロンロケットの原型がようやく完成しました。

現在になって振り返ると、M-Vロケットの運用停止は“不幸”ではなく、むしろ打ち上げの仕組みそのものを刷新する方向へ大きく舵を切れた、“幸運”なきっかけだったのだと考えています。

 

教育用燃料から「小型ロケット」そのものの開発へ

ーー元々は「子ども向けの教育用ロケット燃料の国産化」を目指して起業されたと伺いました。そこから事業内容を「ロケット開発」に変更された背景を教えてください。

私たちがLTP(低融点熱可塑性推進薬)開発を行う目的は「固体燃料ロケットの未来に役立てる」こと。それは、20年前から一貫していました。

一方で、事業化のきっかけは教育面での取り組みでした。

長年ご一緒している植松電機さんは、子ども向けのモデルロケットを毎年約1万本販売されています。

ところが、その小さなエンジンの固体燃料は海外製に頼らざるを得ず、価格も高い。そしてすぐに品薄になるという課題がありました。

そこで「LTPを応用して国産化できないか」という相談を受け、私たちも「本格的なロケット開発を一仕事終えたら次は教育に貢献したい」という想いがあったこともあり、教育分野での実装に着手しました。

ただし、LTPは科研費(科学研究費助成事業)を原資に育てた技術で、職務開発としての知財はJAXAに帰属します。

子ども向けモデルロケット用とはいえ、勝手にビジネス転用はできません。そこで正規の手続きを踏み、JAXAベンチャーとして会社を設立・認定していただく道を選びました。

その審査過程で、私はロケットの専門家ではあっても経営はアマチュアであると感じ、筑波大学が運営するアントレプレナーシップ講座で3か月のコーチングを受講することにしました。

その時、講座のメンターの方に問われたのが「森田さん、本当にやりたいことを言ってください」というものでした。私は「教育です」と即答しましたが、「いや違う。顔に嘘だと書いてありますよ」と言われたのです。

最初は戸惑いましたが、そこで改めて、LTPの開発を始めた原点を見つめ直しました。

固体燃料ロケットの未来を切り開く。そのためにボトルネックを外す技術をつくる。それがLTPの芯であり、私たちの芯でした。

小型衛星の打ち上げが世界中で活発化している昨今、ロケット不足が深刻です。衛星を必要な軌道へ、必要なタイミングで打ち上げたいのに、ロケットの供給が追い付かない。

ロケットは社会の基幹インフラです。時間も人手もお金もかかり、誰もが参入できる領域ではありません。

しかし、誰かが挑まなければ宇宙利用の道は開けません。それなら、長くロケット開発に携わってきた私たちが正面から取り組むべきだ、そう腹が決まりました。

結果として、私たちは「子供向けモデルロケット用燃料の国産化」だけでなく、「小型衛星用ロケットの開発」も活動の主軸に加え、主軸の幅を広げる決断をしたのです。

 

社名の「リンク」に込めた「誰もが参加できるロケット開発」

ーー社名の「ロケットリンクテクノロジー」に、“リンク”という言葉をあえて入れられた理由は何でしょうか。

私たちが宇宙開発・ロケット開発で一番大切にしているのは、「逆境と良き仲間」です。

どれほど大きな困難でも、仲間がいれば乗り越えられるし、逆境が大きいほど飛躍も大きくなる。若手の時からそれを学んできました。

だからこそ、「ロケット開発を通じて仲間を増やしていきたい」という想いを、「リンク」という言葉で社名に刻みました。 

仲間を増やすためにすべきことはただ一つで、「ロケット開発の敷居を積極的に下げる」ことです。

私たちの中核技術であるLTPも、これまで宇宙とは関係のなかった人たちを仲間に迎え入れて、一緒に作り上げてきました。

宇宙業界オンリーのやり方ではなく、異分野の力を合わせて磨いていく。それが私たちの会社としての活動の原点であり、「リンク」に込めた意味の原点となっています。 

 

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DIMENSION NOTE編集長

DIMENSION NOTE編集長

「人・事業・組織に向き合い、まっすぐな志が報われる社会を創る」をミッションに、真摯に経営に向き合う起業家に創業期から出資し、事業拡大・上場を支援する国内ベンチャーキャピタル。

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