
#マーケティング
「これからの食卓、これからの畑」を企業理念に掲げ、食に関する社会課題をビジネスの手法で解決するオイシックス・ラ・大地株式会社。安心・安全に配慮した農産物、ミールキットなどの販売だけでなく、移動型スーパーや給食事業など、幅広く事業を展開する同社代表取締役社長 髙島 宏平氏に、起業家に必要な素養や、M&Aや経営統合のポイント、今後の事業展開についてDIMENSIONビジネスプロデューサーの古家 広大が聞いた。(全4話)
ーー髙島さんにとって、起業家や経営者にとって重要な素養を3つ挙げるとすると何でしょうか。
1つ目は「夢中力」、夢中になる能力ですね。
起業は大変なことも多いので、どんな大変なことに対してもコミットできるかどうかが非常に重要になります。
「夢中」になれないなら、起業はしないほうがいいでしょう。
2つ目は、「仲間づくりをする力」です。
仲間がいなければ、大きな志は成し遂げられません。
3つ目は、「心身の健康」ですね。
これは起業をしてから気付いたことですが、起業というものは競技時間が決まっておらず、「どこまで遠くに行けるか」の競争です。そのためにはコンスタントに、長く、遠くまで走り続けなくてはなりません。
私は起業して25年になりますが、周りの起業家を見ていても長く走り続けられる人は本当に強い。自分に優しく、自分のコンディションを管理することは、安定して走り続けるために重要なスキルです。
会社を長く続けるためには、「心身の健康」は必要不可欠だと思っています。
髙島 宏平/1973年生まれ
東京大学大学院工学系研究科情報工学専攻修了後、マッキンゼー日本支社勤務を経て、2000年6月にオイシックス株式会社を設立。2013年に東証マザーズに上場。2016年、買い物難民への移動スーパー「とくし丸」を子会社化し代表取締役会長に就任。2017年には「大地を守る会」、翌2018年には「らでぃっしゅぼーや」との経営統合を実現し、オイシックス・ラ・大地株式会社代表取締役社長に就任。2019年にアメリカでヴィーガンミールブランドを展開するPurple Carrotを子会社化し、Directorに就任する。2020年東証一部(現プライム市場)へ指定替え。2024年1月には、事業所、学校、病院などの給食事業などを展開するシダックス株式会社を子会社化。
シダックス株式会社代表取締役副社長、株式会社新潟アルビレックス・ベースボール・クラブ代表取締役会長、株式会社ベネッセコーポレーション非業務執行取締役、一般社団法人EVIDENCE STUDIO共同代表理事を兼務。
ーーそれぞれ、原体験があればお聞かせいただけますでしょうか。
私にとって「夢中力」と「仲間づくり」の原体験は、実行委員として高校生時代に仲間と創り上げた学園祭の思い出です。
「1万人を集客する」ことを目標に、仲間と夢中になって2日間のイベントを作り上げていきました。半年間、始発の電車で学校に集まっては議論を重ねる日々を過ごした結果、無事に1万人の集客を達成しました。
あの時、仲間と共有できた大きな喜びは、今でも忘れられません。その後、その仲間たちと当時はやっていなかった体育祭の実施も学校に提案して、その体育祭は今でも続いています。
今思うと、「体育祭の創業」が自身の最初の創業経験でしたね。
「目標に向かって仲間と夢中で取り組む」ことへの情熱は、この学生時代の経験が大きく影響していると思います。
ーー3つ目の「心身の健康」について、コンディションを保つために起業してから継続されていることはありますか?
まずは「美味しい野菜を食べる」ことが大切です(笑)。
その上で、私は「挑戦したいことを我慢しない」ことをとても大切にしています。
たとえば、去年からイースタン・リーグへ参入したプロ野球チームである「オイシックス新潟アルビレックス」の経営を行なっています。さらには、東日本大震災後には、一般社団法人「東の食の会」の発起人として東北の食品事業者を支える活動にも取り組んでいます。
私のこのような姿勢に、株主総会では「やることが多すぎないか?」「集中しないのか?」と、ご指摘をいただくこともあります。
たしかにそのご指摘は正しい側面もあるのですが、私が「心身の健康」を保つためには、好奇心を解放することが重要なのです。
知りたいことを勉強する。会いたい人に会う。
そうすることで、私は更に多くのエネルギーを得られるため、好奇心と向き合う時間をとることも大切にしています。
自分の「心身の健康」にとって何が重要なのかは、それが好きかどうかとは異なる場合も多いので、自己認識の精度を上げるために「どんな時に自分のパフォーマンスが良いのか」を定期的に振り返ってみることも良いかもしれませんね。
ーー食ビジネスと定める前から学生時代の10数名の仲間と起業したお伺いしました。メンバーを多数集めてから起業した理由、その良かったこと/大変だったことがあれば教えてください。
自分で選んだ仕事をするわけだから、人生を賭けて取り組める仕事がしたい。そのプロセスを考えた時に、シンプルに「仲間は多い方が楽しい」と思ったのが一番の理由です。
当時は起業なんてまったく流行っていない時代でしたので、集まったのは就職活動を忘れていたような(笑)メンバーたちばかりでした。「やることないし、まぁやってみるか」というのがメンバーたちの本音だったと思います。
しかし創業直後にネットバブルの崩壊があり、大変苦労しました。
私はマッキンゼーに2年ほど勤めている間に起業の事業計画を考えていたのですが、計画当時はネットバブル最盛期でしたので、極論「黒字化する事業計画」は必要ありませんでした。むしろ、できるだけ大きく掘って、大きく育てる。VCからもそんな事業計画が求められていた時代でした。
そのような時代背景からも、「固定の人件費はかかるものの、創業初期からチームで大きく挑戦した方がいい」と考えていたのです。
しかし、マッキンゼーを退職するタイミングでバブルが崩壊し、VCの皆さんが以前と全く違うことを仰るようになりました。いきなり早期に黒字化転換する事業計画が求められるようになったのです。
すでに20人近くの採用を決めていたのに、このような事態となり、創業わずか2ヶ月でキャッシュアウトしそうになりました。
ーーその危機はどのように乗り越えたのでしょうか?
投資してくださりそうな方にとにかく電話をしました。当時VCの連絡先が五十音順に掲載された本があったので、順番に全社に電話をして、多分本を3周くらいはしましたね。何回も断られ、可能性がある全てのVCの方にはお会いしました。
あとは事業会社の方にもとにかくお会いして、4社から話を聞いていただくことができました。他はすべて断られたのですが、この4社からご出資いただき、なんとか食いつなぐことができたのです。
ただ、その後も何度も会社は資金ショートしそうになっています。継続してファイナンスが必要な状況でした。
ーーどのように投資家から継続的にキャッシュを集められたのでしょうか?
そもそも今みたいにシリーズという概念もなく、資金調達の進め方もぐちゃぐちゃでした。
最終的には本当にお金が集まらなくて、農家の方達にお願いして回って500~1,000万円ずつ集めていくような、そんな資金調達でした。野菜やりんごを仕入れることと並行して、資金調達の相談もしていましたね。
そうやってなんとか食い繋ぎ、キャッシュフローを事業単体でポジティブにするのに4年間かかっています。この4年間は、私の業務の50%が資金繰りでした。
読者の皆さんの参考になるような話ではないですが、それでもなんとかここまでやってこれています。
日々起こるあらゆる大変なことを「夢中」になって乗り越えていく。起業家にとって重要な素養は、そうやって磨かれていったように思います。
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